「(読者には)私の本を読んで楽しくなってもらえれば。」という綿矢りさの言葉にうなずき、「大学を卒業したい」という言葉に感心し自省の念に駆られているなか、『Xへの手紙・私小説論』所収の「新人Xへ」で小林秀雄が、「面白くするのにはどういう技巧を凝らすべきかより、面白さとは何かということを反省してもらいたいのだ。」と書いているのにまたうなずかされる。通俗小説/純文学というあまり意味の無い二分法を唾棄すべきものとし、狭い文壇という枠の外に目を向ける。「文章を読めない人人々の心にも、実生活の苦しみや喜びに関する全人類の記憶は宿っている。この記憶こそ、人々の文学に対する動かし難い智慧なのだ。」実社会や生活の苦しみと面白さは文学のそれに通じているのだ、という当たり前の話。小林秀雄から外に向けられた言葉が、果たして外に届いているのかは分からない。反対のベクトル、外から小林秀雄に向けられる言葉がこれかもしれない。小林秀雄氏と会ったり、小林秀雄氏の本を読んでおかしくなってしまうなら何の問題もないんです。会ったことも読んだこともないのに気を狂わせてしまうからこそ小林秀雄氏は残酷なのじゃありませんか」(高橋源一郎『虹の彼方に』)