へらへらぼっちゃん』(講談社)読了。善人悪人あほかしこ、の人物4類型でもってテレビ時代劇を説明してくれる「絶望的なありさま」が勉強になった。ほか、路上を歩いていて人とすれ違うときの譲り合い精神の無さへの憤りや、バンドのメンバー間の日程調整をするために何回も電話をかけることの哀切など、町田康の真面目な人柄も学ぶべきところ多し。実際のところは、お互いに譲り合うとか、待ち合わせ時間に遅れないとかいうことは、そもそも学ぶ/学ばないという以前のことなのだろうが。この本に出てきたシチュエーションは、路上通行、満員電車、人との待ち合わせ、ファミレスでの店員の応対、などである。今日、アルバイトの帰りに車を運転していて、隣車線からの車に道を譲ってあげたらハザードランプでお礼をしてくれた。自動車の運転も嫌な目にあうことが多いので、ちょっとした気の使いようが大事なのだ。ハザードランプを使った合図ってのがどこまで良いものなのかは分からないが。例えばここにローカルルールがまとめてあるのだが、これを覚えるのは大変だなあ。
http://www.geocities.jp/takayukitoyoshi/HP3/ro-karu.html
初対面の人と接する、それもたった一瞬のすれ違いや、1時間に満たない短い時間を共有する機会、いわゆる公共空間というのは、電車や飛行機といった交通機関、道路、そして色々なお店ということになる。というか、家庭・職場・学校といういつもと同じ顔合わせの場所というもの以外は全て公共空間になるだろう。そこでの振る舞いに関するルール、慣習というものが機能しなくなると、ムラ社会的な日本国は弱い。この状況に対する町田康の対応は怒りだけれどどこか受身というか、困惑交じりである。この怒りが実力行使になると、『うるさい日本の私』(中島義道)になる。マンガは松本大洋『青い春 松本大洋短編集』(小学館)を読んだ。