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教会で働く夫婦のもとに、恋人を亡くした妻の母が訪ねてくる。ピアニストの母は、幼かった妻や父を放ったらかしにしてピアノ演奏に熱中し、挙句の果てに外に男を作ってしまう。その苦しい幼少時代についての恨みつらみの気持ちは、長い間、妻の心の中に封印されたままであったが、母の滞在中の夜、遂にぶつけられる。室内の様子をやや遠目に、動きの少ないカメラで捉えている構図は、病室の白や夕陽の赤などの色彩と相俟って、静謐で暖かな映像を作り出している。しかし人びとの内面はお互いへの不信感に充ちていて、やりきれない。特に「言葉」への不信がここには見られるように思う。冒頭で妻は、母に向けて書いた手紙を、投函する前に夫に読んで聞かせる。そこに書かれているのは、老齢の母を労わる、普通に優しい娘の言葉なのだ。妻が母についての愚痴を夫に語るシーンでは、母の言動の演技性が挙げられている。苦しいとか怒っているとか言えばいいのに、私は傷付いた、というような耳障りの良い言葉を用いることに対して、妻は苛立ちを覚える。そして、母に向けて過去の苦しみが滔々と語られる夜中の場面では、多くの言葉がお互いから吐き出されながらも、和解には到らない。夫婦の家に同居している妻の妹は、生まれつき抱えている病の症状が年々悪化し、いまでは身体を自由に動かすことが出来ず、言葉を話すことも出来ない。短い滞在を終えて母が帰ってしまったとき、妹の言葉にならない叫びが家の中で響く。それは本当の心の表出なのだが、言葉という形を取らないのだ。