小林秀雄『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)
先日「美の巨人たち」で取り上げていた富岡鉄斎についての文章があったかなと思い読んでみる。以下は「鉄斎」から。

恐らく彼(鉄斎)は、「万巻の書を読み千里の道を行かずんば画素となるべからず」という有名な董其昌の戒律を脇目もふらず遵奉した人である。(中略)・・・・・・写生術についても、その秘密を決して自然から直かに盗もうとする道をとらず、厄介な伝統的写生術に通暁し、その秘密の更正を待つという勤勉と忍耐の要る迂路をとった。こういう写生の精神も術も、ひたすら人間のいない自然に推参しようとする近代風景画家の忘れ果てたものである。

・近代風景の成立→柄谷『日本近代文学の起源
・勤勉と忍耐→「モオツァルト」における模倣と訓練
小林秀雄の功罪→花田清輝「太刀先の見切り」( 小林秀雄は達人であった。すくなくとも達人のように振る舞ってきた。一度も批評をしたことがない。ただ、かれは芸術の神妙を語ってきただけだ。(中略)申すまでもなく、私は、批評家というものを、厖大な理論の背後に、かがやいている眸をみいだすような人物ではなく、眸のひらめきにさえ厖大な理論を夢みるような人物だと考えているわけだが、そういう批評家は、所詮、この世では、余計者にすぎないであろうか。」