自意識過剰な私の就職活動/面接試験について

水筒さんの日記http://d.hatena.ne.jp/suitou/20030729で見かけた以下の一節。

そうだ。そういや、そうだった。音楽に限らず、世に溢れる評論やコラムの多くは、何かについて語っているようでいて「こんな人間であると思われたい」という己を語っているものだったりするわけだが。ナンシー関の中には、そういった”己を語る”というエゴはハナから存在していない。だから彼女の歌も、そして文章も、あんなにも美しいのだ。
(「KAWADE夢ムック ナンシー関能地祐子”ただそこにある赤いペダル・スティール”より)

先日読んだ『ドン・キホーテのペディキュア』所収「地下鉄サリン事件と『物語』」に書いてあった次の文章とともに深く納得させられる。(サリン事件など大きなニュースを現場から中継する若手キャスターたちが無意識に微笑みながらレポートをしている点を指摘したあとに続けて)「……関心の焦点が自分しかない場合に、こういうことが起こります。どんな内容を語っていても、どんな脚本を読んでいても、自分がどう見られているかしか関心がない人の場合です。自分がどう見られているか、自分がどう振る舞えばいいかだけを考え続けていると、無意識の微笑みが定着します。/ナルシストという場合だけではありません。自分を愛し過ぎている場合だけではなく、自分に自信がなさ過ぎる場合も、自分にだけ関心が集中します。極度に不安な場合、どんな現場にいてもどんなものを見ても、対象に関心がいかず、そこでどう振る舞うかという自分にだけ関心がいくのです。