◇『ワラッテイイトモ、』(無修正版) @東大教養学部浅井隆ゼミ
はじめに浅井氏による作品上映騒動の経緯の説明。表現のタブーという点から、都築響一×辛酸なめ子の「メメント・モリビル 六本木ヒルズ夢日記」(本当は森美術館完成祝賀会で配布されるパンフレットに入るはずがボツになった。のちに「SPA」で4回に亘って掲載。こちらのサイトの10月14日の日誌に書いてある)にも触れ、作品を画像に取り込んだものを1枚1枚、計16枚映してくれる。そのあと、10月26日に代官山ヒルサイドフォーラムで収録されたという五十嵐太郎暮沢剛巳森達也の3氏によるトークセッションの様子を、メディアプレイヤーで流してくれた。その映像とはこちらのサイト“OurPlanet-TVニュース”にアップされているのを流してくれたのだった。このトークセッションを直接会場で聴いていたkitouさんの丁寧なメモはこちらに書かれている。

そして、『ワラッテイイトモ、』上映。
撮影や編集の技術的なことは分からないので、映像と音声の緩急のリズムや盛り上がっていくスピードを自分でも分かる範囲で適当に感じたり、普段見慣れているテレビタレントの表情や動作や台詞が、ときに悪意をもって、歪められ変質していくさまに、はじめは爆笑しそうになり(こらえたけども)、途中からは薄気味悪さを覚えたりと、次にどんな映像が出てくるのか、どんな展開が待っているのかと油断のならない40分間だった。薄気味悪く感じられてくるのは、例えば観客の「そォーですね」という異様な一体感と盛り上がりであり、また、タモリの「じゃあ明日来てくれるかな?」「明日もまた見てくれるかな?」という、依頼の形を装っていながら半強制的に機能しているかのような物言い。

正直にいえば『笑っていいとも!』に没入してしまっている視聴者は、いまそれほど多いとは思えない。統率の取れた観客の声や拍手、テレフォンショッキングの(いまでは何故そこまで頑ななのか不明な)欺瞞的システム、こうした点をはじめとして、そのうそ臭い盛り上がりに、あえて乗っかっているという部分はあるだろう。それはもちろん『いいとも!』に限らず、他の番組にもいえることのように思う。

だとすると『イイトモ、』の面白さは、そうした視聴者が理屈や頭の片隅では何となく理解していたことを――テレビのもたらす奇妙な時間と空気、空疎な一体感、刹那的で嘘くさい熱狂などを――、テレビと同じ映像と音声という媒体を使って実感させてくれた点にあるのではないだろうか。