『ドン・キホーテのペディキュア』について

理解可能な統一的人格への信仰や、物事を自分の座りが良い状態にもっていこうとする物語化を否定するのは分かる。割り切れない状態、落ち着かない場所で耐えてやっていかなくてはいけないのだ。また単純に、何もかもが了解可能な予定調和ではつまらないということも確かだろう。でも、分かりたいという欲求、安心したいという欲求はあるし、分かろうとする対象として、はじめて「分からないという状態」というのが発生するのではないか。そもそも、分かる/分からないという二分法が、理性の賜物ではないのかという疑問。