車谷長吉『業柱抱き』「静謐な霊の生動」より、埴谷雄高への朝日新聞からのインタビュー記事(1995年11月)を孫引き

かつては『死霊』のような文学を認めないのが、現実の根拠だったのに、現実の許容範囲が広くなって、なんでも受け入れる。下水溝みたいに、立派なものでも排せつ物でも、無根拠なものも、無価値なものもなんでものみ込んで、『価値なき価値』として押し出している。

『死霊』も、かつて持ったような力はいまの現実に対してはもっていません。